日本の哲学者、廣松渉(ひろまつ わたる)とハンガリーのマルクス主義哲学者、ゲオルク・ルカーチ(Georg Lukács)は、共にカール・マルクスが提起した「物象化(ぶっしょうか、ドイツ語: Verdinglichung / Versachlichung, 英語: reification)」という概念に深く取り組み、20世紀の思想に大きな影響を与えました。両者の物象化論は密接に関連していますが、そこには重要な継承関係と、廣松による独自の批判的発展が見られます。
「物象化」とは、本来、人間と人間の間に結ばれる社会的な関係性が、あたかも独立した「物」と「物」との関係、あるいは「物」が持つ性質であるかのように現れる現象を指します。この概念の源流はカール・マルクスにあり、特に主著『資本論』における「商品フェティシズム(物神崇拝)」の分析などでその萌芽が見られます。マルクスによれば、資本主義社会では、労働を通じて生み出された商品が、生産者である人間の意図や社会関係から切り離され、あたかも自己目的的な価値や力を持つかのように振る舞います。しかし、マルクス自身はこの概念を体系的に論じたわけではありませんでした。
マルクスの提起した物象化概念を哲学の中心テーマとして位置づけ、その重要性を広く知らしめたのがゲオルク・ルカーチです。彼は1923年に発表した画期的な著作『歴史と階級意識』の中で、「物象化とプロレタリアートの意識」と題する論文を中心に、この問題を深く掘り下げました。
ルカーチにとって物象化とは、単なる経済現象に留まらず、資本主義社会全体を覆う構造的な問題でした。商品交換が社会の隅々にまで浸透する中で、人間が作り出した社会関係(例えば、労働者と資本家の関係)が、客観的で物的な法則性を持つかのように現れ、人間の意識や主観性までもがこの物的な論理に従属させられてしまうと考えました。労働力は計算可能な「物」として扱われ、法や行政といった社会制度もまた、人間的な内容から切り離された形式的・合理的な「物」のように機能します。このように、社会全体が物象化された構造となり、人間の主体的な活動や意識がその中に閉じ込められてしまう状況を描き出したのです。
ルカーチは、この物象化の分析を、ヘーゲル哲学やマルクス初期の「疎外(Entfremdung)」の概念と結びつけて論じました。疎外とは、人間が自ら生み出したものが、逆に人間自身から離れ、人間を支配する力となる事態を指します。ルカーチは、物象化を資本主義における疎外の極限的な形態として捉え、プロレタリアート(労働者階級)がこの物象化された現実を認識し、階級意識に目覚めることを通じて、それを乗り越える可能性を探求しました。彼の理論は、後の西欧マルクス主義や批判理論に大きな影響を与えることになります。
日本の哲学者、廣松渉は、マルクス研究、特に『資本論』の読解を通じて、独自の物象化論を展開しました。彼はその過程でルカーチの業績を高く評価し、ルカーチがマルクスの物象化概念に「明確で含蓄のある意味内容を付与した」と述べています。廣松にとって、ルカーチの『歴史と階級意識』は、物象化論を本格的に論じる上での重要な参照点でした。
しかし、廣松はルカーチの理論をそのまま受け継いだわけではありません。彼は、ルカーチを含む従来のマルクス主義(特に初期マルクスやヘーゲル左派に由来する議論)が依拠してきた「疎外論」の限界を指摘します。廣松によれば、疎外論は、本来あるべき主体(人間)が、対象(客体、生産物など)によって疎外される、という「主体—客体」の二項対立的な図式を前提としています。廣松はこの図式自体が近代的な思考の産物であり、乗り越えられるべきものと考えました。
近年のマルクス研究でも、初期の『経済学・哲学草稿』などで展開された疎外論と、後期の『資本論』などで見られる物象化の議論との間には、単なる連続性だけでなく、ある種の「パラダイム・チェンジ」があったとする見方が有力です。廣松はこの点を重視し、物象化論は疎外論を弁証法的に「止揚(Aufheben, アウフヘーベン:否定しつつも、より高い次元で生かすこと)」して成立した、より高度な認識であると主張しました。したがって、物象化と疎外を安易に同一視したり、物象化を単なる疎外の一種として捉えたりすることは誤りであると批判したのです。
廣松渉は『今こそマルクスを読み返す』などの著作で、マルクス理論の現代的意義を問い直しました。
廣松は、物象化論を単なる資本主義批判の理論としてだけでなく、より普遍的な認識論的・存在論的な問題として捉え直し、自身の哲学体系である「事的世界観(ことてきせかいかん)」、あるいは「関係の第一次性」の哲学の核心に据えました。
廣松によれば、私たちが日常的に経験する世界は、すでに物象化された諸関係によって構成されており、それによって特定の「物象化的錯視(ぶっしょうかてきさくし)」が生じています。例えば、個々の独立した「主体」や「客体」がまず存在し、その後に両者の関係が生まれる、と考えるのは、このような錯視の一例です。廣松の物象化論は、こうした錯視を批判的に解明し、物事の根源にある関係性の構造(廣松の言う「四肢的構造連関」)を明らかにすることを目指しました。この視点は、経済現象だけでなく、法、国家、言語、科学認識など、社会的・文化的なあらゆる「歴史的諸形象」の分析に適用されます。
廣松は、物象化された関係性を「役割行動」や「対象活動的協働」といった概念を用いて分析し、物象化された現実の中にも、人間の主体的な実践や協働の可能性が残されていることを示唆しました。彼は、デュルケーム社会学における「社会的事実を物として扱う」という方法論にも物象化のモチーフを見出すなど、多角的な視点から理論を深化させました。ルカーチが主に「意識」の次元で物象化を捉えたのに対し、廣松は「共同主観性」や「関係性の構造」そのものに焦点を当て、物象化論をより存在論的・認識論的な次元へと押し広げたと言えます。
ルカーチと廣松の物象化論は、マルクスという共通の源流を持ちながらも、その焦点や射程において重要な違いがあります。以下の表は、両者の主な相違点をまとめたものです。
項目 | ゲオルク・ルカーチ | 廣松渉 |
---|---|---|
思想的基盤 | マルクス後期(『資本論』)、ヘーゲル弁証法、疎外論との連続性を意識 | マルクス(初期・後期全体)、疎外論からの止揚・転換を強調、現象学、構造主義なども参照 |
主な焦点 | 資本主義社会における商品経済、階級意識(特にプロレタリアート)の物象化、全体性 | 社会的関係全般、認識論・存在論的構造、「主体—客体」図式の批判、共同主観性、事的世界観 |
物象化の捉え方 | 主に資本主義における意識と社会構造の客体化・疎外として | 普遍的な認識・存在構造に関わる問題、社会的・歴史的諸形象を生み出す「物象化的錯視」の源泉として |
理論的射程 | 社会哲学、政治理論(革命論) | 社会哲学、認識論、存在論、科学哲学、法哲学など広範な領域 |
克服の視点 | プロレタリアートの階級意識による「全体性」の回復 | 物象化的錯視の認識論的・実践的解明、関係性の構造転換の可能性 |
マルクスに端を発し、ルカーチが体系化し、廣松が批判的に発展させた物象化論の思想的流れは、以下のマインドマップで概観できます。それぞれの思想家が重視した概念や、理論間の影響関係が示されています。
ルカーチと廣松の物象化論におけるアプローチの違いを、いくつかの側面から比較してみましょう。以下のレーダーチャートは、両者の理論的特徴を相対的に示したものです(これは厳密なデータではなく、両者の理論的傾向を理解するための一つの解釈です)。
このチャートが示すように、廣松渉はルカーチの理論を土台としながらも、特に理論の適用範囲の広さ、疎外論との明確な区別、そして多様な方法論的基礎という点で、独自の位置を占めていることがわかります。
以下の動画は、廣松渉の物象化論や、それと関連する疎外論、マルクスの思想について簡潔に解説しており、両者の関係性を理解する上で参考になります。廣松がどのようにマルクスや疎外論を捉え直し、物象化論を展開したのか、そのエッセンスに触れることができます。
「物象化論🍠 疎外論 マルクス 廣松渉 手短に」 - 廣松渉、疎外論、物象化論の関係性を解説。